2008/08/27

馬堀大祭の事  其の3

義人田辺小兵衛  聞き伝え  

田辺小兵衛は、元和元年(1615)馬堀村に生まれ,名主となる。そのころの馬
堀地域近郊は、干害、水害(用排水の便悪と
早水)のため困窮生活(どんぞこ)であった。

小兵衛は、私財を投じて測量,。用水路開削を計画。寛永16年(1639)長岡
城主に数十回直訴し、許可を得る。
正保元年(1644)大用水筒開発に成功。

翌年、独断事業であるとして公儀の調べを受け入獄,自殺をいい渡される。正保2
年(1645)7月25日30歳であった。
107年後,宝暦2年(1752)三根山領主の許可を得て建立したのが、首塚・
長恩院。
毎年8月25日盛大に祭りが行われている。                 


長恩院前たて看板,大字馬堀350回祭典にあたりより

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